こんにちは、西口のぞみです。
とうとうアウシュビッツ強制収容所を見学する日!
ポーランドに行くって決めてから一番楽しみにしていた場所。
楽しみという言葉は適切じゃないかもしれないけど、
この目で絶対見てみたいと思ってた。
アウシュビッツの近くにも大きな強制収容所があって、
この二つをまとめて“アウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所”と言われているの。
アウシュビッツに収容所が二か所あるのも知らなくて、
どっちがメインでどっちに最初に行ったらいいかも分からなかった。
それほど知らないことだらけだった。
アウシュビッツはドイツ語で本来はオシフィエンチムという街、
ビルケナウもブジェジンカ村。
ナチスがドイツ語に変えて今でもそれが世界的に広まってるんだって。
来るって決めなかったら一生知ることもなかったかもしれないな。
あと強制収容所が博物館になっているから、
みんな略してミュージアムって言うんだけど全然しっくりこなかった。
英語ならやっぱり強制収容所のExtermination Campって感じ。
これは同じように感じる人も多かったみたいで、
“墓地だ!”とか“記憶の場だ!”って博物館に賛同しない人が沢山いたらしくて、
正式には『Memorial and Museum』となってるよ。
私達が泊まった宿からは歩いて15分~20分。
オシフィエンチムの駅からも同じ位の距離だから自分達でも簡単に行けると思う。
ネットで調べるとクラクフからのバスしか出てこなくて、、、
反対から回る人達は絶対電車でオシフィエンチムへ向かう方がおすすめ。
帰りは私達もバスを使ってクラクフへ向かったよ。
この日は快晴で紅葉も綺麗な日だったよ。
もう歩くのには相当慣れてきてて15分とかなら余裕になってた(^^)
強制収容所の入場は基本的には無料、
ガイドをつけることでガイド代としてお金を払うシステム。
私達が行った暖かいシーズンは7時半~9時だけガイドなしで入れて、
寒い季節になると1日中ガイドなしで入れるよ。
日本語のガイドツアーを頼みたかったけど、
ポーランド滞在は4日だけだったのとガイドは3時間半かかるからガイドなしを選択。
6時間や2日間のガイドツアーもあるんだよ~
ガイドなしでも公式サイトで予約をしておいた方がいいいよ。
予約なしでも入れるけど入場制限があるから待つ可能性が大!
だって一枠の時間で入れる人数は25人なんだもん。
1ヶ月以上前に8時に予約、1ヶ月以上前なら沢山の時間が空いてたよ。
(直前は全然空いてなかった)
ガイドを頼みたい場合は早めに予約しないと英語だけじゃないから、
全然理解できない言語で回ることにもなるから気をつけて(><)
ガイドを付けないことを決めたから、
現地に行っても少しは理解できるようにアウシュビッツはもちろん、
ヒトラーの映画やドキュメンタリー、第二次世界大戦の勉強をしていったよ。
それでも分からないことがたくさんあった(><)泣
ちなみに公式サイトでも強制収容所の歴史が日本語で読めるよ。
私ももちろん読んだ♪
今回この記事を書くにあたって写真がなさすぎてそのサイトからも拝借したよ。
ガス室や遺髪の写真はNGだったし、
それに大勢の人達が亡くなってるから写真を撮る気にもならなかった。
もう少し写真を撮っていたらもっとブログで伝えられたかも…
って今では思うけど。
公式サイトの日本語説明
▶
『アウシュビッツ=ビルケナウ その歴史と今』
やーーーっと!
アウシュビッツの見学に入るよ~
今から書くことは不確かなものもあると思う。
当時の全てが記録されている訳ではないし、
収容所が解放される前にナチスが証拠隠滅をしたから分かってない部分もある。
それに私の知識不足で間違ったことを書いてるかもしれない。
気になったら自分で調べてみてね。
このブログを読んで少しでも興味を持って調べてくれたら私は嬉しい!!
あ、見学するには大きな荷物やリュックとかの持ち込みはNGだよ!
預けないといけないから見学行く人は気をつけてね。
アウシュビッツ入口、思っていたより小さな門だった。
掲げられてる『Arbeit macht frei』というスローガン、
“働けば自由になる”という意味。
元々は19世紀のドイツ作家の小説のタイトルらしく、
このスローガンも本当に嘘だし収容者に期待させるような言葉で残酷。
アルファベットのBが逆さなっているのが収容者の抵抗の証しと言われてるけど、
その時にこの字体が流行っていたとも言われてるみたい。
二重の有刺鉄線で高さは身長より高くて2メートル半くらい。
一瞬乗り越えられるかな~って想像したけど高圧電流とトゲトゲ、
監視員もそこら中にいる状況を考えると痛々しくてとても脱獄する気になれない。
ドキュメンタリーで脱獄に成功した政治犯の話があった。
親衛隊を殺して服を着替えて車に乗り込んで脱獄したんだって。
死ぬ気での脱獄にドキュメンタリーを見てるだけで私はドキドキした。
でも脱獄に成功した例はほんの少しなんだって。
(写真:公式サイト)
アウシュビッツを空から見た写真、
こんな風にバラック(収容施設)が立ち並んでいたよ。
ほとんどがナチスによって破壊されて復元されたものだけど当時とほぼ同じみたい。
ポーランドは広大な土地があったのとドイツからも交通の便が良かった。
このオシフィエンチム周辺がヨーロッパ最大の絶滅施設に選ばれたのは、
鉱物資源と水源が豊富だったからなんだって。
実際のオシフィエンチムの地図のスクショだよ~
本当にすっごくたくさんの水源(池なのかな?)があったよ。
すっごく長いブログになっちゃいそう…
伝えたいことがありすぎて全然話が進んでないね(><)
収容所内はこんな雰囲気、
歩いてる印象は紅葉した木が並んでてすごく天気も良かったから、
全然収容所に来た!!って感じはしなかったかな。
これで凍える様に寒かったり雨が降ってたりしたら印象もだいぶ違っただろうけど。
約30のバラックがあってその中が博物館になっているの。
番号がついているからどこを見てないか迷うことはないよ。
それぞれが色んなテーマで展示をしていて写真を撮ったいくつか紹介するね!
唯一撮った資料の写真(><)
確か最初に入ったバラックで撮ったけど、
色んな資料があったのに圧倒されちゃって写真なんて忘れてた。
これは収容時に記録された登録名簿。
最初は人数が少なかったから記録や写真が残っているけど、
大量に人が殺される目的で送られるようになってからは記録は一切残っていない。
最初は全員殺すために送られたわけじゃないから残していたんだと思う。
(写真:公式サイト)
こんな風に亡くなった人達の写真が部屋中や廊下中に展示されていたよ。
アウシュビッツとビルケナウに収容された人数はおおよそ130万人と言われていて、
(確実な数字は分からなくて150万人と言われたりもしてるよ)
登録資料が残されているのはたった40万人だけで、
多くはユダヤ人、次にジプシーや政治犯が収容されていたの。
政治犯は今後対抗勢力の中心になるであろうリーダーや
学者や文化人も含まれていたんだって。
収容所内でもこの政治犯たちが中心となってレジスタンス(抵抗運動)があって、
収容者で親衛隊を殺してガス室や焼却炉を燃やしたこともあったみたい。
でもナチスは連帯責任を取らせることでレジスタンスを起こさないようにしていたの。
例えば誰かが親衛隊に危害を加えたら他の収容者の処刑が行われたり、
レジスタンスがあった場合も他の収容者の処刑が行われたの。
ここからは収容者の遺品で、まずは名前が書かれたカバン。
解放された後に自分の鞄と分かるように全員に書かせたもので、
名前を書かせることで“いつかは解放される”と考えさせるためにした行為なんだって。
これは鍋やフライパンで写真だと伝わりづらいけど、
下がすごく深くて大量。
ここに連れてこられる時には「今よりももっと良い生活ができる」と言われてるから、
収容者は生活で使う全てのものを持ってきていたの。
もちろん財産も全て持ってきていたから、
回収した収容者の財産は全てナチスへ渡ったの。
それで戦争のための資金にした。
遺品が残る部屋には全て紫外線で劣化しないように窓はこんな風に。
残されていた眼鏡、他にも櫛や爪切りもあったし義足もたくさん。
衣服も子供用、女性用、男性用と別れていたりして何でも残っていたと思う。
女性用の靴、写真に納まりきらない程の量。
こっちは男性用でこの6倍くらいの量が両サイドに。
もちろん子どもの靴もたくさんあった。
(写真:公式サイト)
そして一番衝撃で気持ちも落ち込んだ展示は女性の遺髪。
写真はNGだからサイトからお借りしたんだけど、
量が圧倒されるくらいの量で…2トンの量があった。
女性は収容される時に全て剃られるの。
私が更に驚いたのはこの毛髪で絨毯を作って売って、
武器を購入する資金にしてたんだって。
この展示はあるとは知っていたけど、
実際に見ると本当に衝撃過ぎたし気分も悪くなった。
私達が入場した8時は比較的人は少ない方だったけど、
それでも朝から団体客がすごく多くてバラック内は渋滞状態で、
この遺髪の展示の前でも列が詰まったんだけど、
本当に見ていられなかった。
どの団体もガイドさんが話しているだけだし、
泣いている人もたくさんいたよ。
当時のまま残ってるバラックも見学ができて、
ベッドやトイレ、シャワー、地下のガス室も見学できたよ。
地下のガス室は暗いし雰囲気もとても気持ちが悪くて、
覗き穴から私達も見ることができた。
覗き穴なのか毒を投入した穴なのか…
(写真:公式サイト)
この写真はビルケナウのものなんだけど、
アウシュビッツもこんな風な二段ベッドの部屋も見学したよ。
そのまま床に雑魚寝の部屋もあった。
収容人数が増えてくるとベット一つにギューギュー詰め、
ペラペラな布きれ1枚が支給されていただけ。
この悪環境で亡くなる人もたくさんいたらしい。
ナチスは殺すことに手間をかけたくなかったから、
こんな残酷に収容者を扱ってどんどん殺していったの。
オシフィエンチムの冬は凍えるように寒くて10月から雪が降ることもあるらしい。
最高気温は0で最低気温はマイナスで、
ギューギューになって寝ることで寒さを凌いだんだとか。
トイレは穴が空いているだけの垂れ流しのような状態に見えた。
1日2回決まった時間にしか行けなかったから、
部屋の中でやむ終えず用を足すことになる。
だから衛生面でも最悪で発疹チフスや伝染病が大流用して大量に亡くなった。
ヒトラーやナチス親衛隊(SS)はどうやって大量な収容者を効率よく殺せるか、
そんなことをずーっと考えていたみたい。
(写真:公式サイト)
そしてこの殺虫剤のチクロンBが大量虐殺に効率がいいということに。
殺虫剤って…
実際に使われたもの凄い量のチクロンBの空缶があった。
『夜と霧』という本で読むにはガスを入れられると、
ガスから逃げようと人々が上に逃げて山のように死体が積み重なって、
聞いていられない程の悲鳴が続くとあった。
チクロンBが使われたというのはドキュメンタリーで知ったけど、
このチップでどうやってガスが発生して大量虐殺できたのか不思議に思ったの。
結局ネットで調べても曖昧な答えばかりだけど、
収容者を部屋に閉じ込めて小さな穴からこのチクロンBを入れる、
そうすると酸素と反応をしてガスを出すのだとか。
今では製造禁止になっているけどこのチクロンBを販売していた会社はまだ健在するらしい。
(写真:公式サイト)
たくさんの政治犯が銃殺された“死の壁”、
私達が行った時も多くの花が手向けられていました。
2重の有刺鉄線の向こうに壁があるところもあったよ。
このアウシュビッツができた当初は近くに住む住人が助けようと、
食べ物や薬などを運んだり脱獄を協力していたんだって。
ここでは人体実験も盛んに行われていて、
特に双子や障がい者に対する実験がされていた。
その写真も残されていたんだけど私は撮ってないから、
知りたい人はネットで調べれば写真も出てくるよ。
例えば有害な薬を双子に与えると同じ症状が出るか?とか、
臓器を交換するとどうなるか?とか、
双子を結合させたらどうなるか?とか信じられないこと。
本当に同じ人間がしたこととは思えない!!!
ほとんどの実験となった人達は麻酔なしで体にメスを入れられて、
ほとんどが亡くなってるよ。
この実験を仕切っていたメンゲレ医師は戦後も逃亡して逮捕されず、
調べたら35年も生き延びていた。
あと強制収容所で監視をしていた人達の多くも、
ほとんどの人が逃亡して証拠がないから今でも罰せられていないの。
でも当時のドイツではヒトラーの独裁社会でヒトラーの事を信じていたし、
従った人達も悪いことをしている自覚がなかったよう。
だから誰が悪いとかないのかもしれないけど色々と信じられない。
展示の英語は難しくて分からない部分も沢山あったけど、
全部の展示バラックは見学したよ。
さらっと見た部分も多かったけど2時間近くかかったよ。
アウシュビッツ強制収容所の最後はこの有刺鉄線を過ぎた「ガス室」。
ここがガス室と焼却炉で多い時は1日に5000人以上もガス室に送られたという。
焼却される前は埋めたりしていたみたいだけど、
臭いが酷すぎて再度掘り起して焼却したんだって。
この焼却する仕事も埋めたり掘り起こしたりする仕事も全て同じ収容者が行っていて、
この仕事についた収容者は順次ガス室に送られていたみたい。
毎日いつ自分の番がくるのかと怯えながら暮らす日々…
親衛隊は自分達の手を決して汚すような仕事はしなかったんだって。
(写真:公式サイト)
実際のガス室もこの写真の通り、
見学は亡くなった方々へ敬意を払って無言での見学が義務づけられていたよ。
ガス室は本当はなかったとか、
大量虐殺はなかったとか、
殺された人達の人数はもっと少ないとか、
色んなことを言われているのを私も調べていて知ったけど、
実際に残っているからなかったことはないんじゃないかと思う。
アウシュビッツを見終わったのが多分10時くらいで、
その時間には本当にたくさんの人達がいたよ。
見学するのは絶対早い時間がおすすめ!
ポーランドに4日間滞在して色んな観光地に行ったけど、
ここが断トツで一番観光客が多かったよ!!
アジア人は何組か見かけたけど欧米人がほとんどで日本人には会わなかったと思う。
気付かなかった可能性はあるけど日本人は少ないんだって。
アウシュビッツを後にしてビルケナウへ移動、
既にアウシュビッツを見ただけで胸がいっぱい…
(な、旦那はん…)
下にある小さい方がアウシュビッツ収容所で、
上に大きく囲まれているのがビルケナウ収容所。
インフォメーションでビルケナウまでどうやって行くの?と聞くと、
それぞれを行き来する無料バスがあるけど今の時間はない、
タクシーは高いけど歩いても行けるよ、ということで30分歩くことにしたよ。
既に朝からたくさん歩き回って疲れていた旦那はんに、
ビルケナウも見ておきたい!と懇願して説得成功!
(結局、ビルケナウを見た後は来てよかったといってくれたよ)
絶対に両方の収容所を見るべきです!
グーグルの予想通り30分位で到着。
ビルケナウ収容所の入口、有名だよね。
電車がそのまま中に入れるようになってる恐ろしい造りで、
本当にここに入ったら二度と出てこられなかった。
ナチスはどんどんユダヤ人を絶滅させようと計画していて、
大量に収容できる場所が必要だったの。
それでアウシュビッツだけでは収容しきれなくなって、
急いで近くに作った大きな収容施設がここ。
ビルケナウはナチス最大の絶滅施設でここに来たほとんどの人が毒殺された。
二つを合わせた収容人数は約130万人、
旧ソ連が解放した時に生き残っていた人はたった7000人程度だったと言われてるよ。
(写真:公式サイト)
ビルケナウは本当に広すぎて向こう側は見えないほどたった。
右下が入口で全貌はこんな風になっているみたい。
証拠隠滅で破壊された所がたくさんあるのが分かるよね。
入口を抜けた景色、
向こう側は肉眼ではよく見えなくてどこまで続くんだ…って絶望を覚える感じ。
ビルケナウの敷地内は芝生が全面に生えていてね、
ここも絶滅施設に来たって感じはあんまりしなかった。
でもここにはなぜかカラスが大量にいて…不気味だった。
私の勝手な想像だけど、ここに収容者の遺灰でもあるからなのか?とか思って、
カラスが異様な雰囲気を醸し出してた。
(写真:公式サイト)
ここに着いたら親衛隊が働ける男性と働けない女性子ども老人に分ける、
働けない方に分類された人たちはすぐにガス室へ送られたんだって。
何も知らずに数時間後に亡くなるって…
どんな気持ちになるのだろう。
写真と同じようなアングル。
負の遺産として世界遺産に登録されていてこれは残しておくべきものだと思う。
今年は広島の平和記念資料館も再度訪れることができたし、
色々人生について考えるきっかけになる年だったな。
(写真:公式サイト)
たくさんの荷物を持って電車に乗り込む人達。
当時の電車の一両が置いてあったよ、
この一両に百人の人達が詰め込まれていたんだって。
やっと解放された後も収容者の人達には残酷すぎる現実が待っているの。
解放されて「やったー」となるかと思いきや、
家に帰っても誰もいなかったり他の人が既に暮らしていたり、
仕事も住むところも財産も家族も失われて…
生き残ってもまた絶望が待っていたんだって。
それもあまり知られていないと思う、私も知らなかったから(><)
私が収容所を訪ねてすごく人生が変わった!!
って言えるほどの生活の変化はない。
そんな風に言うとどんな冷たい人間なんだって気持ちになるんだけど。
でも実際に見ることができたことが私の人生で絶対に忘れない経験だし、
心には深く刻み込まれてるって言い切れる。
改めて歴史を学んで知らないことも知れたし、
知っているだけとは違う経験をしたことが大切かなと思う。
あれからも自分の人生について色々考えるけど、
見学した後にすぐ思ったことはやっぱり自分が悔いのない人生を生きようって。
人の目を気にしたり人の意見を聞いたりして生きる、
そんな人生を歩んだりしてもいつ何が起こるか分からない。
だったら自分のやりたいことをして、
生きたいように生きていくのが幸せなんじゃないかなと思う。
ありきたりのことだけどね。
あと周りの人にも今以上に優しく接したいと思ったし、
純粋に私が人生で人のためにできることって何かな?ってよく考えるよ。
利益どうこうじゃなくて、単純に困っている人を今まで以上に助けようっていう感覚。
今の日本は本当に幸せ!
悩んでることはすごく小さいことなんだよね。
でもそれが毎日だと有難みを忘れてしまう。
こうして旅をすることでリセットして人生と向き合い直すことができるよね。
これでアウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所については終わり!
なかなか行ける機会は少ないと思う場所だし、
行ったからにはちゃんと詳しく伝えたかったけど…
みんな少しは強制収容所のこと伝わったかなぁ?
もっと上手く伝えられたらよかったけど、この程度で許してね。
リアルはもっと残酷なこともたくさんあって、
このブログがきっかけでみんながそれぞれ調べてくれたら♡
そして実際に行く機会があったらぜひ行ってほしいと思う。
この旅ブログはもう少し続くよ~
何か締めな感じになってるけどね。
あと4日くらいかな♪
つづく
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